木彫の仏様4

『わが心の木彫仏 東日本編 丸山尚一著』の中で、私の出身県のとなり茨城県、月山寺の小菩薩像を見た時、あっと思った。街を歩いていてふとウインドウに映った自分の姿を見た時のような気がした。少し恥ずかしいが、確かに似ている。緊張感のない平べったい顔、ずんどうな体、なんだかどこか野暮ったい。東北の仏像に比べると力強さや荒々しさが感じられなかった。気候のせいなのか、関東平野という平たんな地形のせいなのか。下ぶくれの顔に鼻さきが少しかけていて、のどかなムードが漂っている。仏像を作ろうと思って作られたものに思えないくらいに実に人間臭い。

人は自分に似たものを無意識に作ってしまうものだ。私の作った人形も他の人から見るとだいぶ私に似ているらしい。それなら私に似たタイプの人が平安時代にすでにこの地方にいた事になる。直接作った本人でないにしても、子供や、奥さんに似ているとも考えられる。

実はこの小菩薩像を見てなによりも驚いた事は、以前から私が作りたいとめざしていた人形のイメージにとても近い事だった。よく考えれば偶然ではないのかもしれないが、頭の中にえがいていたものが、こんなところにいたのか、と驚いた。1000年も昔に存在していたのだ。

このボッソリとしたかげんで、よし、と思う何かが時間を越えて私の体の中のどこかにも生きていたのだろうか。

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# by hirokodoll | 2007-03-09 18:08 | 制作の想い | Comments(0)

木彫の仏様3

先日図書館で『わが心の木彫仏、東日本』丸山尚一著を、見つけた。そこには、京都や奈良の仏像とはあきらかに違う、素朴でおおらかで力強い数々の仏像の姿があった。簡単に稚拙な表現とは、言いがたい迫力を感じた。

目次は、みちのく、会津、越後、信濃路、甲斐、東国、とに分けられている。個性豊かに荒々しく彫られた中に、親しみやすさや、愛らしさが、漂っている。

驚いたことには新潟県、水保観音堂にある十一面観音など頭の上の十一面は鉢巻きのようなものに、小面たちを墨描きしただけだ。うっすらと見える墨で描いた顔があどけない。まるで村の誰かの顔をいたずらに描いたようにもみえる。

前橋、日輪寺の十一面観音のノミのあとも、像を生き生きと見せている。無造作にザクザクと彫った頭の上の化物の顔は、きっと光と影のかげんによって、いろいろな表情に見えてくるのだろう。作者は京都や奈良の仏像をまねて、作ろうとしたのではなくて、みずからの仏のイメージを追い求めて作ったのではないだろうか。作者の強い意志を感じる。

朝廷文化の中で育っていった中央の仏像とは違う仏像が、時代の様式とは別に、その地方地方に育っていったのがわかる。

まだ知らないところに、どんな仏像がいるんだろう。

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# by hirokodoll | 2007-03-02 23:04 | 制作の想い | Comments(0)

木彫の仏様2

昨年の秋に東京国立博物館で見た「仏像一木にこめられた祈り」展で、強く印象に残った仏像が数体あった。鉈彫(なたぼり)と言われる技法でノミの彫り跡が残っている像だ。奈良や京都のものに比べるととても大雑把で、一見つたないかんじに見える。作るのを途中でやめてしまったようでもある。それらはどれも関東地方、東北地方、といった、東日本のものだった。他の観賞者も、「えっこれなに」という顔をして足を止めていた。そして小さく「クスッ」と笑っている。栃木県出身の私は、自分が笑われているような、恥ずかしいような、ふに落ちない気分になった。でもその像は、見れば見るほど親しみやすく、温かな笑みには心を引き付ける魅力が溢れていた。リズミカルなノミ跡からは穏やかだけれど力強い存在感が伝わってきた。。

すぐ後でノミの彫り跡が、残ってしまったのではなくて。なめらかに作った後、わざとノミ跡を残したのだ。こんな風にしかできなかったのではなくて、あえてこういうかんじにしたのだ。という事がわかり、ほっとした。インドや、中国、朝鮮の文化の影響を受けて奈良や京都に仏像が作られるようになった。それが地方に伝わって行く時、そのまま伝わるのではなくて、その土地の信仰心の対象にふさわしいかたちとなり風土の中で生まれ、育っていったのだ。そして、これこそが オリジナリティーなのだ、と思った。(つづく)

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「十一面観音菩薩立像」 神奈川 弘明寺
# by hirokodoll | 2007-02-23 22:55 | 制作の想い | Comments(0)

銀座プランタン「現代創作人形作家展」開催中

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普段は家に居ることが多いが、自分が出品している展覧会の間は人形をとおして、いろいろな方に会えるので、できるだけ会場に行っている。初めてお会いする方はどんな表情で自分の人形を見てくれているのだろうと、こっそり様子をうかがってしまう。何かを共感しあえるというのは、作り手の喜びだ。人と接していると、直接感じるものがある。良い時も、そうでない時も、あるけれど全部含めて楽しんでいる。

他の出品者の方達とお話しするのも自分のとは違った素材だったり考え方があって興味深い。まだ若い作家さんで、130㌢くらいの大きな人形を出品している方がいた。迫力があるので130㌢よりもずっと大きく見える。人形を作り始めたきっかけを話してくれた。高校生の時に修学旅行で東京に来て渋谷の本屋さんで偶然、天野可淡の写真集を見たこと。そしてあまりにも驚いてボーッとしてしまったこと。現代美術館で実物を見た時も、すごすぎてボーッとしてしまって、今でもものすごい刺激を受けていると、その熱い思いが伝わってきて、ふっと、懐かしくなった。

私も二十歳そこそこの時、天野可淡の個展を見た時にはものすごさに圧倒された。そのころ近い時期に四谷シモンや土井典の個展を見る機会があった。20年以上前のあの鳥肌の立つような感覚はけっして忘れられない。なんて貴重なものが見られたんだろうとしみじみと思う。こんなにも人に影響を与える作品がある事。それに出会えた幸せを感じる。若い作家の方と話して、また新鮮な気持ちが甦ってきた。


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# by hirokodoll | 2007-02-15 23:43 | 人形の展覧会 | Comments(0)

かつら

描き目タイプの女の子にツヤのある髪質の三つ編みのかつらをつけたが、どうも質感があわないように思えて、変えることにした。大阪の人間用のと人形用どちらも扱っているかつら屋さんに注文した。注文する時には頭の大きさや髪の長さを書く注文書に添えて人形の頭の型紙のようなものをいっしよに送る。この型紙の作り方は私の人形の母校エコール・ド・シモンで教えて頂いた方法だ。

人形の頭に直接サランラップをあててその上からセロテープで上下左右、斜めに貼っていく。幾重にか貼って形が落ち着いてきたところでマジックで印をつけて、ぐるっとかつらを頭にはりつける時の形に切り抜く。頭の方向がわかるように、前側に印をつける。これなら頭の大きさだけではなくて頭の形の深さや特徴も含めて実にわかりやすい。

そして一か月がたち、出来上がったかつらが送られてきた。この箱を開ける時はドキドキしてしまう。どうかあの人形にピッタリの雰囲気でありますように。もどかしい気持ちで箱を開け頭につけてみる。モヘアの毛の質感が柔らかくて、前よりも自然なかんじになった。注文する時に以前自分で染めたモヘアを色の見本として入れておいたので、色も希望どおりになっていた。真ん中の分け目のところや前髪までちゃんと綺麗で、職人さんの丁寧な仕事には感謝の気持ちを伝えたくなる。

速乾性のボンドで頭にはりつけ、きちんと編んである三つ編みをほんの少しくずして、ラフなかんじにした。ふわっと、春の微風にふかれたようになった。


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この人形もプランタン銀座で2月13日から19日まで開催の『現代創作人形作家展』に出品します。今回は7体出品します。


# by hirokodoll | 2007-02-09 17:29 | 人形の素材 | Comments(0)