個展3日目。柴田悦子画廊のお仕事を手伝ってらっしゃって、ご自身も作家であるNさんが私の一番最初の個展のDMに興味をもって下さったので、嬉しくなってダンボール箱の奥から色あせたほこりっぽい古いファイルをひっぱり出して、画廊に持って行った。
20代の初めの頃の作品は、学生っぽくて青臭く思えて、ちょっと恥ずかしくてほとんど人に見せた事がなかった。なぜ恥ずかしいのか、と言うと頭で考えて作った作品だからだ。コンセプトが先走っていて技術がともなっていない作品だと思っていたからだ。
私が人形を作り始めるきっかけとなったのは、20代始めに四谷シモン、天野可淡、土井典といった方々の作品を見てものすごいショックを受けたからである。油絵の浪人生をしていた私は、ぐんぐん人形の世界に引き込まれていった。
といっても、すぐに人形ひとすじになつたわけではない。3浪もして、絵から急に人形を勉強したいと親に言っても、びっくりして仕送りがもらえなくなりそうだったので、渋る親をなんとか説得して、絵を勉強する創形美術学校という専門学校へ入学した。もうだいぶ、スネをかじったのにさらにかじり続けた。少し落ち着いてから7月に四谷シモンの人形学校へ入学した。親にはまだ内緒だった。
教材は石塑粘土をつけたり、磨いたり、胡粉を塗ったりと、人形の技術を学ぶもので一体仕上げるまでかなり時間がかかった。次の教材に進むのにもお金がかかる。結果的に教材はのろのろペースで作りながら、はやる心をおさえきれず自分でも作品を作りだした。
写真は130㌢くらいの作品。1982年、22才9月、古いファイルひとつ目の作品。