出来たてのホヤホヤ

プランタン銀座で2月13日から始まる「現代創作人形作家展」に出品する男の子の人形の帽子を編んだ。まず、頭の周りの大きさに合わせてくさり編を作る。そして編み棒を5本使って編み目を輪にして編んでいく。最初はゴム編で4段くらい、後はメリヤス編で編む。メリヤス編に入ったものの棒が指にひっかかって編みにくい。手持ちのアンティークドールの赤ちゃんの帽子を見てみた。あれーしまったー。手抜きとは言わないけれど、とても効率良く編んでいる。もちろん形もきれいで見栄えもいい。なんで今までこの編み方に気ずかなかったんだろう。と、しばし悔やむ。さすがに西洋の方だなあ。と相手を讃えてみたりして。でも私の編み方だって利点はある。頭にかぶせて形を確認しながら編めるのだ。このままの方法で進めることにした。

耳を出してかぶるか、深くかぶるか、迷った。かぶせたり、出してみたり。やっぱり出すことにした。今度はゴム編のところを折り返して厚みをつけるかどうするか。毛糸によって太さや質感が違うから注意深く編んでいかなくてはならない。頭の中で考えている時と実際とでは違ってくる。ゴム編は折り返すとリアルな感じにはなるけれど少し重たい感じに思えた。なんだか人形の顔の表情がこわばって見えたので折り返さないことにした。何度も離れて眺めてみる。帽子といえども人形全体のシルエットが大切なのだ。だんだん編み目を減らしていく。先がとんがってきた。

やっとてっぺんのところまできて大きな栗のような形になった。あとはボンボンだ。結び目が玉のようになっていて、そこからフサフサが出るボンボンをつけてみた。離れてみたらフサフサが大げさになってしまった。全体のシルエットが決まらない。すんなりいかないのはいつものこと、なれっこだ。と言いつつ、もたもたするのは少し悲しい。気をとり直して普通のボンボンを作った。やったー。ようやく完成。そこで『栗太郎』と命名した。



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# by hirokodoll | 2007-02-02 18:50 | 人形の服 | Comments(0)

木彫りの仏様

昨年の秋に東京国立博物館で「仏像『一木にこめられた祈り』」展を観た。一木で作られた仏様が、ずらりと140体ほど、時代も7世紀から19世紀までの貴重な展覧会だった。会場は大変な賑わいよう。と言ってもざわついているわけではなくて、じっと仏様をみつめる熱いまなざしが重なりあって不思議な空気を作っていた。なんだか、ほんわか心地いいのだ。これだけ沢山の仏様がいらっしやると、不思議な事があっても、不思議ではないような気がしてきた。なにしろ何百年も前から人々の祈りの対象とされ心のよりどころとなってきた経歴の持ち主なのだから。

ところで日本に仏教が伝わってから金銅仏が作られるようになった。初めは中国の工人の手を借りていたけど、そのうち日本の技術も進歩してひけをとらないようになってきた。さらに高度な物を作るようになった。これって現在の車やカメラなどの日本の産業にも共通している。初めは見よう見まねで作ってある時期からは世界的なレベルのものを作ってしまうところ。腕をみがく事に対しても、ものすごくエネルギッシユである。少し前に流行っていたプロジェクトXの歌が聞こえてきそううだ。

でも大きな大仏を作ったり沢山作りすぎて銅が不足してしまった。そこで、それまでにも増して木彫りの仏様を作るようになった。乾漆造や塑造も作ったけれど、それはあくまでも唐風の文化へのあこがれ。湿度の高い日本では壊れやすかったり、土で作るので重すぎたりして根ずいていかなかった。当時の貴族も輸入ものや本場ものにはさぞかし目がなかったのだろう。外国のものが魅力的に見えてしまうのもまた変わらないかも。

木は神聖なもの、神の宿るもの、という古来からの樹木観と結びついて一時の流行とはならなかった。今でも神社で木にしめ縄をまわし、まつられているのを時々目にする。一木の仏様にしても、初めは中国の工人の手によるものと思われるものがあったり影響を受けていたけれど、ある時間が経過すると、日本独特の感性のものを作るようになった。銅もまったくなくなったわけではないだろうけれど平安から江戸に至るまで木の仏様を作ってきた。心にしっくりするのは、これだなっと感じたからに違いない。天に向かってそびえ立つ木からエネルギーをもらい、いつかは朽ちて土に帰っていくゆっくりとした、時間の流れを意識していない部分で受け止めて、木に特別な思いをよせていた。その思いもまた、日本人の記憶の底にずっと生き続けているのだと思う。木の仏様に心惹かれこんなにも大勢の人が会場におとずれる訳もなんとなくわかるような気がした。


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# by hirokodoll | 2007-01-26 23:45 | 観た展覧会 | Comments(2)

一目惚れ

蒸し暑い夏、あの人形はどうしているだろう、北の町に住んでいるから涼しい顔をして立っているだろうか。寒い冬、あの人形はどうしているだろう、温かそうなツイードのジャケットを着ているから大丈夫だろうか、と離れていった人形を、ふと思い出す。

人と人形との出会いは、人と人との出会いによく似ている。第一印象で好きか嫌いか大きく左右される。一目惚れするのも人形なら許される。しかも何度でも。あの北の町の、ほっぺたの丸い女の子は幸せなことに一目惚れしてもらった。人形は、必要でない人にとっては、じゃまで薄気味の悪いものに違いない。人形もそんなところに置かれては、どんなにか居心地の悪い思いをすることだろう。必要な人にとっては、ほっと、心安まるもの。いつもそばに置いておきたい。好きな人とずっと一緒に居たいのと同じだ。そんな、末永く一緒に居たくなるような人形が作りたい。

制作中つねに思っているわけではないが、結果的にそおであってほしい。でも恋愛がどんなに頑張っても成就するとは限らないように、人形もまたどんなにもがいても、肩によけいな力が入りすぎて、なかなか思うようにはいかない。ほとんどそれの繰り返しだ。満足できないからまた作りたくなるのか。いつか、偶然にも目が合って心に留めてくれる人に出会えることを夢見て、ただ、ひたすら、制作に励みたいと思っている。


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# by hirokodoll | 2007-01-19 18:18 | 制作の想い | Comments(0)

人形の服

人形にどんな服を作ろうか 迷いに迷って出来上がってから驚くことがよくある。自分が子供の頃に着ていた服にとても似ているからだ。女の子の服はもちろん男の子の服もどこか雰囲気が似ている。色合い、素材の質感、似させようと思ってそうしたわけではない こんな感じが可愛いかな、とふっと思いついたデザインだ。

以前 展覧会場で私の人形が数体並んでいるのを偶然母くらいの年齢の方が見て「昔 娘が小さかった頃こんな服着せてたわ」と とても懐かしがって下さった。ほんのわずかな沈黙があった。気がつくとその方の目にうっすらと涙が光っていた。自分の過去のいろいろな想い出と重なってしまったのかもしれない。

思うままに作った服が知らず知らずのうちに自分の生きてきた時代を映し出していた事に気づかされた。服はつねに移りゆくものだから その時代の空気とか匂いみたいなものまで含んでしまうものなんだと あらためて思った。初めて出逢った方にその空気を感じて頂けて嬉しいのと私の中のしまっておいた懐かしさが連鎖反応をおこし胸の奥が少し熱くなった。  
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# by hirokodoll | 2007-01-12 23:42 | 人形の服 | Comments(0)

最初に

人形制作中に出会ったあれこれを時々書いていこうと思っています。
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# by hirokodoll | 2007-01-12 22:02 | Comments(0)