木彫の仏様6

平安時代になると専門的な仏師以外にも、民間的な僧や在家の信者によって仏像が作られるようになり、地方色のある仏像がうまれた。それには木という素材が使われたことも大きく関係している。

金銅仏や、乾漆像は木に比べ作る工程が複雑でわかりにくい。材料や道具を手に入れるのも大変だ。場所だって必要だろう。数人がかりで作らなくてはならなかったかもしれない。それに比べると、木は暮らしの中でも密接で馴染みがあるものだ。道具が必要なことには変わりはないが、金銅仏などに比べたら手に入りやすかったのかもしれない。それに表現方法は切ったり、削ったり彫ったりとストレートだ。

見よう見まねで作りたくなる欲求は、よくわかる。深い信仰心から祈りの対象である形を作りたいという想いがあればなおさらだろう。たとえ技術や道具が充分でなくても修行のためになんとか作りたいという気持ちがよりいっそう個性的な仏像を生み出したのだろう。

私も木のあともどりできないストレートな表現方法に惹かれて7年前から桂の木で人形を作りはじめた。手に触れた時の安心感のある手触りにも惹かれて。


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# by hirokodoll | 2007-03-23 22:23 | 制作の想い | Comments(0)

「エコール・ド・シモン人形展」開催中

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展覧会場風景

もちろん四谷シモン先生の新作もありますよ。

3月27日(火)まで 『新宿 紀伊国屋画廊』


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# by hirokodoll | 2007-03-18 17:51 | 人形の展覧会 | Comments(0)

木彫の仏様5

平安時代初期になると、地方には中央の様式だけではない独特なものが、木彫仏に現れてきた。その背景にはどんな事があったのだろうと、新たに図書館で、前回と同じ著者の『生きている仏像たち 日本彫刻風土論 丸山尚一』を見つけた。

平安時代以前、奈良仏教は国家仏教の性格が強かった。国家権力の記念碑的な東大寺の「大仏」の造営が終わると、官立の造仏所は廃止され官営による造寺、造仏の事業はすたれていった。私寺、官寺のべつなく仏像を作ることが自由になり、仏師も作家としての立場から、比較的自由に制作しうるようになった。

そして高度な技術を学んだ専門的な仏師以外にも民間的な僧や在家の信者によって積極的に素朴な仏像が作られるようになっていった。

地方仏の中には全身の大きさからすると頭がやけに大きかったり、目や口や耳などが誇張されて、大袈裟に見えたりするものがある。でもこの一見くずれたようなバランスの中に迫力と作者の真摯なおもいが込められているのを感じる。地方の名もない僧が、ひとり木と向かいあい念仏を唱えながら長い時間をかけて、彫っている姿を、想像してみる。

写真は7年前に独学で初めて桂の木を彫って作った25㌢の人形です。近作35㌢の人形と昨日から始まった「エコール・ド・シモン」展に出品しています。

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# by hirokodoll | 2007-03-16 17:11 | 制作の想い | Comments(0)

「エコール・ド・シモン人形展」

「第26回 エコール・ド・シモン人形展」

2007年3月15日(木)〜3月27(火)10:00~6:30

(ただし最終日のみ6:00までとなります。)

紀伊国屋画廊

新宿区新宿3丁目17-7 Tel.03-3354-7401



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木彫りの球体関節人形2体出品します。


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# by hirokodoll | 2007-03-14 10:36 | 人形の展覧会 | Comments(0)

木彫の仏様4

『わが心の木彫仏 東日本編 丸山尚一著』の中で、私の出身県のとなり茨城県、月山寺の小菩薩像を見た時、あっと思った。街を歩いていてふとウインドウに映った自分の姿を見た時のような気がした。少し恥ずかしいが、確かに似ている。緊張感のない平べったい顔、ずんどうな体、なんだかどこか野暮ったい。東北の仏像に比べると力強さや荒々しさが感じられなかった。気候のせいなのか、関東平野という平たんな地形のせいなのか。下ぶくれの顔に鼻さきが少しかけていて、のどかなムードが漂っている。仏像を作ろうと思って作られたものに思えないくらいに実に人間臭い。

人は自分に似たものを無意識に作ってしまうものだ。私の作った人形も他の人から見るとだいぶ私に似ているらしい。それなら私に似たタイプの人が平安時代にすでにこの地方にいた事になる。直接作った本人でないにしても、子供や、奥さんに似ているとも考えられる。

実はこの小菩薩像を見てなによりも驚いた事は、以前から私が作りたいとめざしていた人形のイメージにとても近い事だった。よく考えれば偶然ではないのかもしれないが、頭の中にえがいていたものが、こんなところにいたのか、と驚いた。1000年も昔に存在していたのだ。

このボッソリとしたかげんで、よし、と思う何かが時間を越えて私の体の中のどこかにも生きていたのだろうか。

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# by hirokodoll | 2007-03-09 18:08 | 制作の想い | Comments(0)