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木彫りの人形事始め

20年近く主に桐塑(桐の木を挽いて粉にしたものに接着剤を混ぜて作った粘土)を使って人形を作ってきた。乾燥させた後、彫ったり、磨いたり、石塑粘土をつけてさらに磨いたり、表面は胡粉に顔料を混ぜて塗って仕上げていた。いくつもの工程を重ねていく方法よりも、もっとストレートに自分の思いを表現できるものはないか、と思うようになってきた。

形をもりあげたりするのは、まだいいのだが、最後に塗る、という行為が、せっかく頭にえがいて作った形を、必要以上に包んでしまってどうも歯がゆく感じられるようになった。作り始めた時の、イメージを最後まで持続させたい、という思いもあった。いくつもの工程を重ねていると、最後まで仕上がりが見えてこない。

木なら彫ったり、削ったりした痕跡が残るから最後の仕上がりに向かって進んでいくのが見える。それになによりも、木の手ざわりというものに惹かれた。私はなぜか、ずっと以前からさわって心地いい人形が作りたかった。布でもさわれるが、木の手ざわりに強くあこがれていた。

問題は腕力だ。力は明らかに人並み以下だ。手も小学生に負けるくらい小さい。私に木で作ることができるのだろうか。しばらく悩んでいたが、いつまでも考えていても仕方ないので、とにかく、やってみようと思った。試してもみないであきらめてしまったら、あの時やってみればよかったと、なにかにつけ、頭に浮かんできて嫌な気分をひきずりそうだ。

そこで2000年に思いきって、木の人形を作り始めた。知識も技術もまったくなかった。今思うと問題は腕力だけではなかった。

まず図書館で木工の本を借り、工具について調べるところから、はじまった。

写真は夢中で作った2体目の人形、身長18㌢



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by hirokodoll | 2007-03-30 22:35 | 人形の制作 | Comments(2)

木彫の仏様6

平安時代になると専門的な仏師以外にも、民間的な僧や在家の信者によって仏像が作られるようになり、地方色のある仏像がうまれた。それには木という素材が使われたことも大きく関係している。

金銅仏や、乾漆像は木に比べ作る工程が複雑でわかりにくい。材料や道具を手に入れるのも大変だ。場所だって必要だろう。数人がかりで作らなくてはならなかったかもしれない。それに比べると、木は暮らしの中でも密接で馴染みがあるものだ。道具が必要なことには変わりはないが、金銅仏などに比べたら手に入りやすかったのかもしれない。それに表現方法は切ったり、削ったり彫ったりとストレートだ。

見よう見まねで作りたくなる欲求は、よくわかる。深い信仰心から祈りの対象である形を作りたいという想いがあればなおさらだろう。たとえ技術や道具が充分でなくても修行のためになんとか作りたいという気持ちがよりいっそう個性的な仏像を生み出したのだろう。

私も木のあともどりできないストレートな表現方法に惹かれて7年前から桂の木で人形を作りはじめた。手に触れた時の安心感のある手触りにも惹かれて。


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by hirokodoll | 2007-03-23 22:23 | 制作の想い | Comments(0)

「エコール・ド・シモン人形展」開催中

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展覧会場風景

もちろん四谷シモン先生の新作もありますよ。

3月27日(火)まで 『新宿 紀伊国屋画廊』


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by hirokodoll | 2007-03-18 17:51 | 人形の展覧会 | Comments(0)

木彫の仏様5

平安時代初期になると、地方には中央の様式だけではない独特なものが、木彫仏に現れてきた。その背景にはどんな事があったのだろうと、新たに図書館で、前回と同じ著者の『生きている仏像たち 日本彫刻風土論 丸山尚一』を見つけた。

平安時代以前、奈良仏教は国家仏教の性格が強かった。国家権力の記念碑的な東大寺の「大仏」の造営が終わると、官立の造仏所は廃止され官営による造寺、造仏の事業はすたれていった。私寺、官寺のべつなく仏像を作ることが自由になり、仏師も作家としての立場から、比較的自由に制作しうるようになった。

そして高度な技術を学んだ専門的な仏師以外にも民間的な僧や在家の信者によって積極的に素朴な仏像が作られるようになっていった。

地方仏の中には全身の大きさからすると頭がやけに大きかったり、目や口や耳などが誇張されて、大袈裟に見えたりするものがある。でもこの一見くずれたようなバランスの中に迫力と作者の真摯なおもいが込められているのを感じる。地方の名もない僧が、ひとり木と向かいあい念仏を唱えながら長い時間をかけて、彫っている姿を、想像してみる。

写真は7年前に独学で初めて桂の木を彫って作った25㌢の人形です。近作35㌢の人形と昨日から始まった「エコール・ド・シモン」展に出品しています。

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by hirokodoll | 2007-03-16 17:11 | 制作の想い | Comments(0)

「エコール・ド・シモン人形展」

「第26回 エコール・ド・シモン人形展」

2007年3月15日(木)〜3月27(火)10:00~6:30

(ただし最終日のみ6:00までとなります。)

紀伊国屋画廊

新宿区新宿3丁目17-7 Tel.03-3354-7401



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木彫りの球体関節人形2体出品します。


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by hirokodoll | 2007-03-14 10:36 | 人形の展覧会 | Comments(0)

木彫の仏様4

『わが心の木彫仏 東日本編 丸山尚一著』の中で、私の出身県のとなり茨城県、月山寺の小菩薩像を見た時、あっと思った。街を歩いていてふとウインドウに映った自分の姿を見た時のような気がした。少し恥ずかしいが、確かに似ている。緊張感のない平べったい顔、ずんどうな体、なんだかどこか野暮ったい。東北の仏像に比べると力強さや荒々しさが感じられなかった。気候のせいなのか、関東平野という平たんな地形のせいなのか。下ぶくれの顔に鼻さきが少しかけていて、のどかなムードが漂っている。仏像を作ろうと思って作られたものに思えないくらいに実に人間臭い。

人は自分に似たものを無意識に作ってしまうものだ。私の作った人形も他の人から見るとだいぶ私に似ているらしい。それなら私に似たタイプの人が平安時代にすでにこの地方にいた事になる。直接作った本人でないにしても、子供や、奥さんに似ているとも考えられる。

実はこの小菩薩像を見てなによりも驚いた事は、以前から私が作りたいとめざしていた人形のイメージにとても近い事だった。よく考えれば偶然ではないのかもしれないが、頭の中にえがいていたものが、こんなところにいたのか、と驚いた。1000年も昔に存在していたのだ。

このボッソリとしたかげんで、よし、と思う何かが時間を越えて私の体の中のどこかにも生きていたのだろうか。

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by hirokodoll | 2007-03-09 18:08 | 制作の想い | Comments(0)

木彫の仏様3

先日図書館で『わが心の木彫仏、東日本』丸山尚一著を、見つけた。そこには、京都や奈良の仏像とはあきらかに違う、素朴でおおらかで力強い数々の仏像の姿があった。簡単に稚拙な表現とは、言いがたい迫力を感じた。

目次は、みちのく、会津、越後、信濃路、甲斐、東国、とに分けられている。個性豊かに荒々しく彫られた中に、親しみやすさや、愛らしさが、漂っている。

驚いたことには新潟県、水保観音堂にある十一面観音など頭の上の十一面は鉢巻きのようなものに、小面たちを墨描きしただけだ。うっすらと見える墨で描いた顔があどけない。まるで村の誰かの顔をいたずらに描いたようにもみえる。

前橋、日輪寺の十一面観音のノミのあとも、像を生き生きと見せている。無造作にザクザクと彫った頭の上の化物の顔は、きっと光と影のかげんによって、いろいろな表情に見えてくるのだろう。作者は京都や奈良の仏像をまねて、作ろうとしたのではなくて、みずからの仏のイメージを追い求めて作ったのではないだろうか。作者の強い意志を感じる。

朝廷文化の中で育っていった中央の仏像とは違う仏像が、時代の様式とは別に、その地方地方に育っていったのがわかる。

まだ知らないところに、どんな仏像がいるんだろう。

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by hirokodoll | 2007-03-02 23:04 | 制作の想い | Comments(0)