JR東日本のCM「大人の休日倶楽部」で吉永小百合が「庄内なのになぜ京言葉?」と疑問を抱き庄内を旅するシーンが映されているのを見た。以前、写真家土門拳さんの随筆の中で故郷の山形県酒田の女言葉にも、京都弁が混じっている、というのを読んだことがある。
その昔、危険の多い太平洋側よりも、日本海の比較的穏やかな海路を利用し、庄内米、越後米などが京都の方へ運ばれ、京都の方からもまた物や文化が運ばれていた。その名残が言葉に残っているのだと。
物や文化が運ばれていくのには、川も大きなはたらきをしている。福島県のほぼ中央に位置する会津盆地のあたりから、越後平野に通じる大きな川がある。その阿賀川は時として洪水を出し、暴れ川とも言われるほど、恐れられていたがその川の豊かな水の流れによって、千年前、会津盆地には勝常寺を中心に寺が作られ一大文化圏が構成されていた。
とても興味深く思い、仏像の写真集を見ると、心ひかれる仏像がいくつもあった。なかでも勝常寺の薬師三尊坐像は平安時代の地方仏として代表的と言われ、穏やかで、堂々としている。その端正な顔だちには、どこか中央のふんいきを感じる。この土地の広葉樹のけやきを使っているので、ここで作ったらしい。会津の腕自慢の仏師が作ったのだろうか。それとも、京都から派遣された仏師が、はるばる海や川を舟にゆられてやって来て作ったのだろうか。千年前の舟の旅とは、どんなものだったのだろう。想像をふくらませてみる。
阿賀川空中散歩(空から見た阿賀川の写真が見られます)写真は製作中の人形。やっとパーツが出来てきました。