昨年の秋に東京国立博物館で見た「仏像一木にこめられた祈り」展で、強く印象に残った仏像が数体あった。鉈彫(なたぼり)と言われる技法でノミの彫り跡が残っている像だ。奈良や京都のものに比べるととても大雑把で、一見つたないかんじに見える。作るのを途中でやめてしまったようでもある。それらはどれも関東地方、東北地方、といった、東日本のものだった。他の観賞者も、「えっこれなに」という顔をして足を止めていた。そして小さく「クスッ」と笑っている。栃木県出身の私は、自分が笑われているような、恥ずかしいような、ふに落ちない気分になった。でもその像は、見れば見るほど親しみやすく、温かな笑みには心を引き付ける魅力が溢れていた。リズミカルなノミ跡からは穏やかだけれど力強い存在感が伝わってきた。。
すぐ後でノミの彫り跡が、残ってしまったのではなくて。なめらかに作った後、わざとノミ跡を残したのだ。こんな風にしかできなかったのではなくて、あえてこういうかんじにしたのだ。という事がわかり、ほっとした。インドや、中国、朝鮮の文化の影響を受けて奈良や京都に仏像が作られるようになった。それが地方に伝わって行く時、そのまま伝わるのではなくて、その土地の信仰心の対象にふさわしいかたちとなり風土の中で生まれ、育っていったのだ。そして、これこそが オリジナリティーなのだ、と思った。(つづく)
「十一面観音菩薩立像」 神奈川 弘明寺